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Date - 2023.07.04

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東洋医学の起源について考察してみた。

東洋医学の起源
Where did Oriental Medicine come from?

みなさんは、「東洋医学ってどこで始まったんだろう?」と考えたことはありますか?


鍼灸師あん摩マッサージ指圧師の資格を持つ、東洋医学を学校で学んだ人でも考えたことが無い人が多いんじゃないかと思います。(学校で習うのは、中医学の歴史で、それより広い範囲の東洋医学を学ぶ機会は、学校では基本的にありません。)

今回のお話は、私がずっと疑問に思っていた東洋医学の起源について。
ネットの情報、主にウィキペディアの情報を元に探っていったものなので、ひとつの考察、こんな考え方もあるんだと楽しんでもらえると良いかなと思っています。

東洋医学の起源
東洋医学はどこからやってきたのか。

さて、東洋医学と言うと、
みなさんは、どのようなイメージを抱いているのでしょうか。
多くの日本人がイメージするのは、中国医学と漢方医学、
中国と日本で行われて来た医学と言ったところでしょうか。

中には、韓国の韓医学も含め、東アジアの医学というイメージがあるかもしれません。
しかし、東洋医学は、東アジアだけではなく、もっと広い、アジア全域、むしろ、中東などアラビアまで含めた範囲の、伝統のある医学を東洋医学と考える方が、スタンダードと言えます。

そんな東洋医学の起源はどこにあると言えるのか、
三大伝統医学と呼ばれるものを掘り下げて行こうと思います。

 

三大伝統医学

中国医学

三大伝統医学の1つ目は、
中国医学です。

中国医学は、中国発祥の医学で、現代でも医療として、さまざまな症状の治療に使われている鍼灸治療がそれにあたります。

 

中国医学の思想には、

万物は、陰と陽の2つの属性にわけられるという、陰陽論、
天と人は相応している、天と人は一体であるという、天人合一思想、
万物は、木、火、土、金、水、の五種類の元素からなるという五行説、

があげられます。

患者の脈に触れて、拍動の強さや早さ、硬さや太さ、浮き沈みなどを把握することで、疾病の状態を診察する脈診も中医学の特徴として挙げられます。

 

この中国医学と、現在、中国で行われている中医学はまったく同じものというわけではありません。

大元にある理論は同じですが、現代の中医学は、中華人民共和国の成立以降、1941年以降に統一理論が確立されたものであり、中国医学とは区別するという考え方があります。

この中国医学が韓国で発展したものが、韓医学、
日本で発展したものが、漢方医学と言えます。
つまり、中医学、韓医学、漢方医学の起源として中国医学があると考えるのが良いと言えるでしょう。

 

アーユルヴェーダ

2つ目の三大伝統医学は、アーユルヴェーダです。
アーユルヴェーダは、インドで発展した医学です。

 

アーユルヴェーダの特徴として挙げられる理論は、
生きているものは、ヴァータ、ピッタ、カパ、という3つの要素を持っており、体のすべての生理機能が支配されている、という説。トリ・ドーシャ

純粋性を持つサットヴァ、動性を持つラジャス、安定性と惰性を持つタマスのみっつが拮抗し互いにバランスを取ることで、自然界の諸現象や、人間の心身の状態、性格の違いなどが生まれると説明されるという説。トリ・グナ

身体を構成する要素が七つであるという、サプタ・ダートゥ

医学は8科目からなるとする、アシュターンガ
が、あげられます。

 

ユナニ医学

三大伝統医学の最後の一つは、
ユナニ医学です。

現在も、インド・パキスタン亜大陸のイスラム文化圏で行われている伝統医学であり、古代ギリシャ医学を起源とする医学です。

 

ユナニ医学の根底にある理論は、医学の父、疫学の祖、とも呼ばれるヒポクラテスが唱えた、病気は、四種類の体液の混合に変調が生じた時に起こるという四体液説と、
火、空気、水、土の4元素によって万物が作られるという4大元素をもとにしています。

また、ユナニ医学は、ローマ帝国時代のギリシアの医学者であり、臨床医としての経験と多くの解剖によって、体系的な医学を確立し、古代における医学の集大成を成した、ガレノスが説いた、ガレノス医学より大きな影響を受けています。

 

三大伝統医学の起源

中国医学

三大伝統医学の起源を辿る上で、重要な人物がいます。
次は、人物からそれぞれの伝統医学を見て行きましょう。


中国医学で最も重要となるのは、黄帝です。
黄帝は神話伝説上では、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされています。

この黄帝は、紀元前2510年から紀元前2448年の人物とされていますが、実在したかは不明となっています。

 

次にあげられるのは、古代中国思想を語る上でも欠かすことが出来ない、老子です。
春秋戦国時代の哲学者で、諸子百家のうち、道家は、彼の思想を基礎とするものであり、道教の始祖とされている人物です。

中国の歴史書、史記によると紀元前6世紀の人物とされていますが、実在が疑問視されている人物でもあります。

先にあげた黄帝を始祖とし、老子を大成者とした、黄老思想と呼ばれる思想もあります。

この思想は、君主が天道に背く、君主が勝手な行動を取ることを禁じ、また、秩序維持のために社会に過度に干渉することは避け、さらに統治にかかるコストをさげるべきとする考えであり、漢の時代初期において最も影響力を持った思想です。

 

最後にあげられるのは、日本の漢方医学にも大きな影響を与えた、傷寒雑病論を記したとされる、張仲景です。

張仲景は、三世紀のはじめに、長沙、現在の湖南省の、太守、今で言う知事であった人物です。

 

アーユルヴェーダ


アーユルヴェーダで重要となる人物は、
チャラカ、と、スシュルタ。

このふたりは、共にアーユルヴェーダの医学書、チャラカ・サンヒターとスシュルタ・サンヒターに名前が使われています。

 

チャラカは、紀元1世紀から2世紀の人物で、カニシカ王の侍医であったとも言われており、チャラカ・サンヒターの編纂をおこなった人物です。
ちなみに、そのチャラカ・サンヒターが完成したのは紀元500年頃と言われています。

スシュルタ・サンヒターに名前を冠されたスシュルタは、紀元前6世紀頃の古代インドの外科医であり、スシュルタ・サンヒターは、世界最古の外科学教科書です。

 

ユナニ医学


ユナニ医学において重要となる人物は、
先にも説明した、ローマ帝国時代のギリシアの医学者ガレノス。

ガレノスの学説は、ローマ帝国時代からルネサンス期まで1500年にわたり、ヨーロッパおよびイスラム医学において支配的なものとなりました。

 

ガレノスの知識は、生きた動物を使った臨床実験により、培ったもので、その解剖学の知識はすさまじいものがあり、動脈が運ぶものは生気ではなく、血液だと言うことを示し、神経機能、頭脳、心臓に関する最初の研究をおこなった人物でもあります。

そんなガレノスに大きな影響を与えたのが次にあげる、ヒポクラテスです。

 

紀元前460年ごろにギリシャのコス島で生まれた、古代ギリシアの医師で、ヒポクラテスの最も重要な功績のひとつは、医学を原始的な迷信や呪術から切り離し、臨床と観察を重んじる経験科学へ発展させたことが挙げられます。
医療に関わるものであれば一度は名前を聞いたことがあるはず。

医師の倫理・任務などについての、ギリシア神への宣誓文である、ヒポクラテスの誓いを謳った人物であります。

最後にあげるのは、イスラム世界が生み出した最高の知識人と評価されたペルシャの哲学者であり、医者であり、科学者でもある、イブン・スィーナー。

 

西暦980年に生まれ、波乱万丈な人生を送った人物で、第二のアリストテレスとも呼ばれ、アリストテレス哲学と、新プラトン主義を結合させたことで、ヨーロッパの医学、哲学に多大な影響を及ぼした学者です。

イブン・スィーナーが生涯をかけて書き上げた、医学典範は、ガレノスやアリストテレスの理論を継承しつつ、古代インド医学の流れも汲むとする意見もあります。

ヨーロッパの大学では、18世紀まで教科書として使われ、インドでは、この医学典範が、20世紀初頭まで、医学教育の入門書として使われていました。

 

三大伝統医学の最古の書物


各伝統医学の重要人物を確認したところで、
次は、三大伝統医学の最古の書物を見ていきましょう。

 

中国医学の最古の書物と言われているのは、黄帝内経。

これは、中国の神話伝説に登場する黄帝と、岐伯をはじめ幾人かの学者に日常の疑問を問う形の、素問と、診断、治療、鍼灸術など、臨床医学に重点をおいている、鍼経、又の名を霊枢、があります。

黄帝内経は、中国の漢代、紀元前206年から紀元220年の間に編纂されたものとされています。

 

アーユルヴェーダの最古の文献と言われているのは、アグニヴェーシャ・タントラ、紀元前8世紀頃のものとされており、チャラカ・サンヒターは、このアグニヴェーシャ・タントラを、医師であるチャラカが改編したものと言われています。

また、アーユルヴェーダの元となったバラモン教の教典ヴェーダは、紀元前1200年頃から古代インドで編纂されたインド最古の文献で、このヴェーダの中から生命に関する知識を集大成させたものがアーユルヴェーダとなったとされています。

 

ユナニ医学は、確立されたのが十世紀ごろとされており、時期から考えると最古の文献と言うなら、イブン・スィーナーの医学典範が適していると言えるかもしれませんが、ここでは、ユナニ医学に大きな影響を与えた、ガレノスの記した書物、オン・ザ・エレメンツ・アコーディング・トゥー・ヒポクラテスを最古の書物とさせて頂きました。

 

東洋医学の始まりはどこか?


さて、ここまで三大伝統医学に関わる人物と、書物について説明してきました。

ここまでの内容を踏まえて、東洋医学の始まりは、どこなのかについて考えを巡らせていきましょう。

2つ、注意点を先に挙げさせていただきますと、
念頭に置くべきこととして、
「すべてのものがひとつの場所から生まれたわけではない」ということ、

「別々の場所で生まれたものが、長い時の中で混ざり合って集約されていった。」と考える方が良いということです。

 


結論から言いますと、
東洋医学の起源は、中国とインドにあると言えそうです。

なぜそう考えると良いか説明していきます。

 

三大伝統医学の関係性

まず、三大伝統医学の関係性を見てみましょう。


中国医学とアーユルヴェーダは、同じような年代に別々の地域で生まれ、
シルクロードを介して交流をする中で、お互いに影響を与え合っていたと言えます。

そして、ユナニ医学は、古代ギリシア医学の影響を大きく受けつつ、アーユルヴェーダの影響も受けていたということが言えます。

 

さらに、三大伝統医学が確立された西暦を見ながら、お互いの関係を見てみましょう。

 

中国医学

中国医学の最古の書物が出来たとされるのが、紀元前200年頃。
中国医学に深く関わる陰陽論や五行説は、黄帝内経より古い、紀元前659年以降に編纂された書経にも記載があるため、中国医学が成立したのは、中国の春秋戦国時代と言えます。

ちなみに、五行思想を初めて唱えたのは、春秋戦国時代の陰陽家、鄒衍だと言われています。

鄒衍は、紀元前305年から紀元前204年頃まで生きた人物とされており、陰陽論も、この鄒衍によって唱えら れており、五行説よりも陰陽論が先にあったとされています。

先にあげた、紀元前6世紀頃に生きていたとされる老子が陰陽について説いたという記載があるので、陰陽論自体は、もっと古い思想だったと言えそうです。

 

アーユルヴェーダ

アーユルヴェーダが体系化されたのは、紀元前8世紀頃です。

アーユルヴェーダではドーシャが、3つとされていますが、外科が取り入れられた、スシュルタ・サンヒターでは、第4の体液として、血液が挙げられています。

この、血液、粘液、胆汁、風、がペルシャ経由でギリシャに伝わり、血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁、を人間の基本体液とする四体液説のもととなったとも言われています。

つまり、ユナニ医学の起源は、アーユルヴェーダにあると言えるでしょう。

 

三大伝統医学がそれぞれに与えたもの

次に、それぞれの医学が互いにどのような考えを与えたのかを見ていきましょう。

 

もともとインドになく、中国医学が与えたものと言えるのは、中国でしか手に入らなかった一部生薬、そして脈診と錬金術・錬丹術があげられます。

 


逆に、アーユルヴェーダが中国へ与えたものは、中国にはない薬草やオイルであったことが言えます。
特にアーユルヴェーダでは治療の際に、様々なオイルを扱います。その知識と技術は間違いなく中国医学にも少なくない影響を与えたと言えるでしょう。

 


また、古代ギリシア医学が与えたものを見ていきましょう。
これは、今日の医学へ続く、大きな影響だったとも言えます。

それは、解剖による医学の体系化と、医学を迷信や呪術から切り離したことです。

科学化とも言える現代医学の礎は、間違いなく、古代ギリシア医学からもたらされました。その中心となったのが、ヒポクラテスです。

 

考察


さて、ここからは、私個人の考察です。

あくまで仮説として聞いて頂けると幸いです。
まず、三大伝統医学を数字という視点から見ていきましょう。

 

 

数字で考える東洋医学の起源

中国医学で鍵となる数字は、2と5。
陰陽論の2と、五行説の5です。

次に、アーユルヴェーダ。
アーユルヴェーダで重要となる数字は、3、5、7、8。
トリ・ドーシャ、トリ・グナの3、
パンチャ・マハブータの5、
サプタ・ダートゥの7、
アシュターンガの8です。
また、4という数字もアーユルヴェーダには含まれています。
トリ・ドーシャに血液を加えて4、
パンチャ・マハプータは、五大元素の5ではありますが、土大、水大、火大、風大の四元素に存在と運動の場を与える空大を加えた五つで五大元素、
つまり、4+1という数字と考えることも出来ます。

最後に、ユナニ医学。
ユナニ医学における重要な数字は、4。
四体液説と4大元素の4です。


これは、アーユルヴェーダの影響を大きく受けています。

 

アーユルヴェーダとユナニ医学の共通性は、これまで話してきた通りですが、
次は、中国医学とアーユルヴェーダの共通点を見て行こうと思います。

 

 

五行説と五大元素


中国医学とアーユルヴェーダに共通する数字は、5、のみです。
果たして、これは単なる偶然なのでしょうか。それとも…

 

ここで仮説を立ててみます。

仮説1


共通する5という数字は、中国医学とアーユルヴェーダ、別々の場所で自然と出て来たわけではなく、共に「古代インド哲学がもとになっている」のではないか。

 

その根拠となるものを見ていきましょう。


まず、古代中国思想のうち最も古いのは、陰陽論。
2つのものが互いに補完し合って1となり、完全体になる。2つが1つになるという法則。道に通ずる考え方です。

これは、黄帝、老子の教えに共通する考え方です。
なので、もともと中国医学にあるのは、2という数字。
5という数字はあとから出て来たものです。

 


そして、古代インド哲学には、
イェネンドリヤ(五感覚器官)、カルメンドリャ(五行動器官)、パンチャ・タンマートラ(五唯または五唯量)という五大元素が生まれるもととなった考え方があります。

これは、古代インド哲学、バラモン教の六派哲学のうち、サーンキヤ学派の思想から生まれたものです。

このサーンキヤ学派は、六派哲学の中でも最も古く、サーンキヤという名称が登場する最も古い文献は、紀元前320年から紀元前300年ごろに活躍した、カウティリヤ作の実利論に記述されています。

また、このサーンキヤ思想の萌芽は、さらに古い、ヴェーダ文献やウパニシャッドにも見られるようです。

 

ここで、さらなる仮説を立ててみます。

 

仮説2


五行論とは、古代インド哲学の思想が中国に流れて生まれたのではないか。

 

まずは、五行説の起源を見てみましょう。


五行説が初めて中国の書に出て来たのは、中国古代の歴史書である、書経の、”甘誓”、”洪範”の章です。

木火土金水が初めて明言されたのは、洪範の章で、
甘誓では、五つの星の運行を示すとの説もあり、五元素を指しているかは不明とされています。

 


五行思想が最初に現れたのは、紀元前305年頃から紀元前240年頃に活躍した陰陽かの、鄒衍によって唱えられたのが始まりということです。

時期から考えると、古代インドの方が、中国より古くから、5という数字が理論化されていたと考えることが出来るのではないでしょうか。

 

古代インド哲学の年代も見ていきましょう。


インドにおける最古の書は、ヴェーダ。バラモン教とヒンドゥー教の聖典です。
ヴェーダは、紀元前1000年から紀元前500年頃に編纂された一蓮の宗教文書の総称です。

アーユルヴェーダの書物としては、アグニヴェーシャ・タントラが紀元前8世紀頃より前から存在したと言われています。

また、シルクロードは、紀元前2世紀の、前漢の時代にはすでに確立されていたとされています。

つまり、古代インド哲学思想がシルクロードを介して、中国へ流れていた可能性があります。

 

仮説3


ここから導き出される仮説は、
鄒衍が、古代インド哲学からヒントを得て、五行説をとなえたのではないか。ということ。

鄒衍のもとにシルクロードを行き来する商人によって古代インド哲学の考え方がもたらされ、五行論が生まれたと考えることは、辻褄としては合っていると言えるのではないでしょうか。

 

考察結論


以上の3つの仮説から導き出される私の考察の結論は、
「陰陽五行論とは、古代中国思想と古代インド哲学が組み合わさって出来たのものではないか。」です。

 

帰結

今回の帰結として、私の考えをまとめると、

・中国医学とアーユルヴェーダの両方から学ぶと東洋医学をより深く学べるのではないだろうか。
・東洋医学の起源は、中国とインドにあり。
・古代インド哲学思想が中国医学に取り込まれたことで現在の日本における東洋医学の起源となったと言えるのではないか。

ということです。

あくまで、いち個人の考察であり、これが必ずしも正しいわけではないですが、
あながち間違っていないのではないかなと思います。
長々と私の考察に付き合って頂きありがとうございました。
楽しんで頂けたのであれば、幸いです。

 

参照:

アーユルヴェーダ:wikipedia
中国医学:wikipedia
ユナニ医学:wikipedia
サーンキヤ学派:wikipedia
黄帝:wikipedia
老子:wikipedia
ヒポクラテス:wikipedia
ガレノス:wikipedia
イブン・スィーナー:wikipedia
五行思想:wikipedia
黄帝内経:wikipedia
傷寒論:wikipedia
ヴェーダ:wikipedia
チャラカ・サンヒター:wikipedia
シルクロード:wikipedia
六派哲学:wikipedia
陰陽:wikipedia
書経:wikipedia
天人合一思想:一から学ぶ東洋医学 No.11 東洋医学を支える三大理論① 天人合一思想

伝統医学:wikipedia

 

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