Date - 2018.04.06
Category -
幸せとは何かを考える
今僕はエチオピアのラリベラに居ます。
ここは11世紀に建てられた岩盤をくり抜いて作られた教会があり、
イースターを迎えるこの週末にはラリベラ中の人々が教会でお祈りをします。
昨日はエチオピアの首都のアディスアババに居て都会の生活を体験してましたが、今日は所変わって田舎の暮らしを経験して居ます。
キリスト教の復活祭であるイースター
ここ、ラリベラの人は、イースターの最中は朝から日が暮れるまで断食し、水すら飲みません。夜になったらご飯を食べる人もいますが、中には金曜日から日曜日になるまで何も食べない方もいます。
そんなイースターの週末で沢山の信者で溢れかえっている教会を見て回りながら、
ここアフリカに来てからずっと考えている人間にとっての幸せとは何かを頭の中で思い巡らしていました。
答えはまだ出ないけど、
ラリベラの人々、特に子供達を見ていると必ずしも科学技術の進歩が幸せに結び付くわけではないんだろうなと言うことを感じます。
都会では人が溢れかえっているせいか、
人々の繋がり、特に家族の繋がりが薄くなっているように思います。
それは日本に限らずどこの国でも同じように思います。
確かに、ネットの発達のおかげで直接会えなくても遠距離でも毎日コミュニケーションを取れるようになりました。FacebookなどのSNSで繋がっていればずっと会って居ない人々の動向を見ることが出来るので久しく会ってなくてもあまり懐かしく感じなくなってきたかと思います。
僕は常に動き回ってますので、1年に1度会えれば多い方で、友達には2、3年に1度会えば十分だと感じてしまいます。
これは1人に慣れてしまったからでしょうが、
じゃあ、一生今のままで生きていけるのかと考えるとなかなか難しいものがあるように思います。
人間の寿命や健康状態は食生活や日々の習慣に大きく左右されますが、
それ以上に社会的コミュニケーションが大きく関係していることが研究によって明らかにされています。
人は何かに帰属している時に、誰かの役に社会の役に立っていると感じる時に幸せを感じます。
それは違うと言う意見もあるかもしれませんが、
これが長年のさまざまな研究が導き出した1つの答えです。
現代社会では科学の発展が急速に進みロボットやAIによって人間の仕事や役割が取って代わられています。
先進国では都市化が進み、核家族化が進んだ為、家族の距離が開いて来てしまったように思います。
家族が離れ離れになり、社会からも必要とされなくなった時に人は孤独を感じるでしょう。
たとえ大勢の中に居ても孤独を感じることはあります。
むしろ大都市のように人がたくさんいる場所でこそ孤独を感じやすいのかもしれません。
自然の中で一人でいても不思議と孤独を感じることはありません。
慣れの問題もあるかもしれませんが、
一人でいる事と孤独でいる事は違うものだと僕は考えています。
これからの世の中の人々が幸せになる為に重要な事はコミュニティ形成であり、誰かの役に立っていると感じれる環境作りが必要だと思います。
それは特に子供たちと定年退職を迎えた方々にとってとても重要な事になると思います。
AIなどのロボット技術は、人々を引き裂く凶器にも人々を繋ぐきっかけにもなり得ます。
科学の進歩がものすごいスピードで発展している今、
人々は心について、幸せについて考える、哲学的思考の発展が遅れてしまっているように思います。
昔は良かったと簡単に言ってしまう事も出来ますが、それは何の役にも立ちません。
逆にこれから未来の新しい世界の形、社会の仕組みを考えていかなければなりません。
都市で暮らして考えてもなかなかその答えは見つからないのではないかと思います。
ここラリベラのように伝統が残り、決して裕福とは言えない人々の暮らしの中にその答えがあるのじゃないかと僕は考えています。
幸せそうに笑う子供達の笑顔を見て改めて今の大都市の社会には欠けているものがあると感じます。
夜を迎え静まり返った街のテレビもネットも無い今夜の宿は現代人にとっては退屈な環境かもしれませんが、僕にとってはなんだか懐かしいような落ち着くような環境に感じます。
こういった日は自分と向き合い、
日々忘れているさまざまな疑問を考えるのに丁度良いです。
幸せとは何か。
たとえ1人で過ごしていても誰かを想うことが出来れば幸せに感じるかもしれません。
逆に想い人と離れていることで悲しみを感じる人も居るかもしれません。
家族と一緒にいる事が必ずしも幸せを感じる為に必要なことではないでしょう。
家族と適度な距離を保っている方がかえって幸せを感じるのに必要なこともあります。
家族とずっと一緒にいる事でストレスが溜まる事は誰にでも起こりえます。
気の置けない友達と一緒にいる時に
子供と一緒にいる時に
または将来を考えるパートナーと一緒にいる時に
ふとした瞬間に幸せを感じることがあるでしょう。
人が愛し合う事とは違う、人々が幸せを感じて生きていける世の中にする為に何が必要かを僕たちはずっと考えて行かなければなりません。
愛は幸せのきっかけになりますが、
時にそれは憎悪に変わります。
憎悪は幸せを破壊するきっかけになるでしょう。
人々が幸せに生きて行ける世の中を目指す為には愛を超えた先に待っているものに目を向けなければいけないように思います。
答えは人それぞれ違うかもしれませんが、
僕たちはそろそろ幸せについて本気を出して考えていかなければならないように思います。
人々の繋がりをどう作るのか。
これからの社会に求められるものはここに集約されているのではないかと思います。
どれだけ考え続けても数学のように1つの答えに辿り着くわけではありませんが、
科学がものすごいスピードで発展している今だからこそ考え続けて行かなければならないように思います。
自分が今幸せである理由の言語化
これが出来ればきっとあなたはこれから先もずっと幸せに生きていく事が出来るでしょう。
しかし、幸せは有限であるということを頭の片隅に置いて、
常に幸せの理由を更新していく事が大切だと僕は考えています。
幸せにしがみつこうとした時、
あなたはすでに幸せではないと言う事を忘れずに。
諸行無常とは世の中を上手く現した言葉ですね。
幸せの形も同じように歳を重ねるにつれて変化して行くものです。
どれだけ考えても1つの答えには辿りつけなさそうなので今日はこの辺で。
これからもずっと幸せについて考えていこうと思います。
MITS
参考本「病は気からを科学する」
スポンサーリンク
- Recommend
- Category
-
- About me (19)
- Acupuncture (19)
- Column (38)
- Cruise (40)
- Study (14)
- Acupuncture (7)
- Anatomy (5)
- Brain (1)
- Language (3)
- Travel (11)