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Date - 2018.09.03

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みっつが豪華客船に乗るまでの物語 −社会人編-

 

専門学校編、カリフォルニア留学編と書いて来た話も今回で終わり。

初回記事、前回記事を読んでない人はそちらと合わせて読んでね。

初回記事

みっつが豪華客船に乗るまでの話 −専門学校編-

前回記事

みっつが豪華客船に乗るまでの話 −カリフォルニア留学編-

 

 

初めての会社、社会人生活のスタート


アメリカの大学に進学してATCを取る為にまずは日本の会社に就職してお金を貯めることにした僕は、カリフォルニア留学を終え日本に帰って来た。

師匠の紹介で在宅訪問鍼灸マッサージの会社に就職することとなった。

その会社は、社長、取締、社員1人、パート1人の全員合わせて4人という構成で、事業拡大の為に新しく人を雇うとのことで僕を雇ってくれた会社だった。

 

最初の2週間は先輩の同行でマッサージや鍼灸治療の仕事を見学したり、社長の同行で営業先への挨拶回りに行っていた。
3週目からは先輩の指導の下、患者さんへの施術を始め、1人でケアマネジャーのオフィスへや訪問看護のオフィスへの営業まわりもしていた。

施術半分、営業半分といった感じである。

 

何分小さな会社だったのと僕が入った段階で忙しくなって行っていたので、おそらく大きな在宅訪問鍼灸マッサージの会社で新卒の鍼灸あマ指師が働くよりも早いペースでさまざまな仕事を任されるようになった。

 

研修期間は1-3カ月だったのだが、腕と知識量と仕事量から1カ月半で研修期間終了となった。

 

学生時代にアメフトチームで培った経験と技術、カリフォルニア時代の勉強で身についた知識がなければ、これほどすんなりと認めてもらえることはなかっただろう。

躊躇うことなく、研修中から先輩や社長に意見をしていたし、事業拡大中の小さな会社でさまざまなことの改善が必要だったのもあり、様々なことにチャレンジさせてもらっていた。

貯金がなかった僕は、事業登録していたオフィスの1室を借り、そこに住むことが出来た為、家賃がかからず大変助かった。

 

給料は一般的な鍼灸整骨院に比べれば数万円ほど上で、在宅訪問の会社の中でも新卒鍼灸あマ指師の給料としては上の方だったのでカリフォルニア留学から日本に戻って来た僕にとっては願ってもみない待遇であった。

また、その会社の活動範囲が横浜市緑区〜町田近辺で、学生時代トレーナーをやっていたアメフトチームの練習場から電車とバスで1時間半の距離だったのもあり、アメフトチームに戻れることになった。

 

仕事を始めた10月はアメフトシーズンの終わりに近い時期だったので、アシスタントトレーナーとして12月のシーズン終わりまで働き、翌年のシーズンからはアシスタントヘッドトレーナーのポジションを任されることになった。

 

当時22歳になったばかりだったので、その年齢で社会人アメフト、Xリーグ1部のチームのアシスタントヘッドトレーナーを任されることは正直大きなプレッシャーであったが、同い年のヘッドトレーナーと共に若いトレーナーチームを精力的に引っ張って行くことが出来たと思う。

2013年2月のアメフトシーズンインからは、平日は在宅訪問鍼灸マッサージの会社で働き、土日はアメフトチームでトレーナー活動をするという生活が始まった。

 

日本で働き始めて最初の数ヶ月は全てが順調に行っていた。
ことが起こったのは2月も終わりに近づいていた時だった。

 

 

歯車が狂い出した会社


仕事は順調そのものだった。営業が実を結び、毎月新患が増えていた。会社の売り上げも上がり、新年度から新たに1人採用する準備も始めていた。

アメフトの仕事の方もヘッドトレーナーとしっかりと話し合いをして準備を行なっていたので大きな不安を抱えることなくシーズンインを迎えた。

しかし、会社の要と言っていい、僕が全幅の信頼を置いていた取締役と社長の間で些細なことをキッカケにすれ違いがおこってしまった。

お互い譲れば良かったのかもしれないが、譲ることが出来ない問題だったようで、行き着くところまで行ってしまい、取締役が会社を離れることとなった。

 

僕と先輩は、取締役が会社に居たからこそ、順調に業績が上がって来たと思っていたし、社長に任せては会社が保たないのではないかという不安を感じていたこともあり、どうにか出来ないか社長と話し合いの場を設けたりもしたがダメだった。

詳しくは書けないが、
さまざまなことがあった結果、
僕は会社を辞めることを決意した。

 

雇ってもらった社長には感謝しているが、
やはり、師匠が信頼する取締役がいたからこそ入社を決めたわけだし、割り切って恩のある彼が居ない会社で働く気持ちを持つことは僕には出来なかった。

2013年4月のことである。

 

進路を変える決断、海外へ出ることを決意


5年間、在宅訪問鍼灸マッサージの会社で働いてお金を貯め、アメリカの大学へ進学してATCを取りに行くという計画は崩れ去った。

もちろん、ここで別の会社に就職して同じようにお金を貯めるという方法を選ぶことも出来たが、
いざこざに巻き込まれた形の僕は、海外に早く出たかった僕は日本で働くことに魅力を感じなくなってしまった。

 

その時に思い出したのが、会社の先輩が以前話してくれた豪華客船で鍼灸師として働くという道だ。先輩の同級生が以前、豪華客船で働いていたそうで、カリフォルニア留学帰りの僕にそのことを話してくれていた。

それをキッカケに豪華客船での仕事について調べ始めた。

 

当時は豪華客船での鍼灸師の仕事についての情報がネットで検索しても全然出てこなくて、先輩の同級生の書いたブログと豪華客船のスパの仕事をオファーしていたエージェント会社のホームページくらいでしか豪華客船のことを知ることが出来なかった。

情報量としてはとても少ないものだった。

 

豪華客船で以前働いていた方が書いたブログで僕が参考にしたものがこちら↓

http://acusamurai.blog.fc2.com/blog-category-5.html

 

先輩の紹介で、豪華客船で以前働いていた方と直接会って話す機会を作って頂き、船について質問をし、僕は豪華客船に乗ることを決めた。

桜がすでに散った4月の終わりのことだった。

 

 

救世主現る、人生を変えた出会い


僕が実際に豪華客船に乗って仕事を始めたのは2013年の11月末のことだった。

そこから遡ること7ヶ月、2013年4月に船に乗ると決めたはよいものの、貯金なし、会社をやめる、つまり住む家が無くなる僕がたった半年の準備期間で船に乗るのは無謀なもののように思えた。

 

名古屋の実家に戻って鍼灸の仕事から離れお金を稼ぐ為にアルバイトをすることも考えた。

そんな時に救いの手を差し伸べてくれたのが、
同じ町田の地域で在宅訪問マッサージの会社を経営していた母校の先輩で、辞めることを決意した会社についての相談にも乗ってくれていた方だった。

 

彼との出会いは専門学校3年生の頃、
僕の同級生が高校時代にサッカー部でお世話になっていたトレーナーで、僕らの先輩にあたる人が学校に来るから晩ご飯でも行かないかと誘われていった中華料理店でだった。

 

 

名刺を頂いていて、町田で働いていたことを知っていた僕が、同じ地域で働くことになるからと連絡をしてご飯を食べに行ったのがキッカケで何度か会っていたのもあり、僕のことを気に入ってくれていたようで、会社を辞めることを考えていた時やその後の進路相談に乗って頂いていた時に、

“豪華客船で働くならそれまでうちの会社で雇うよ。事務所登録しているオフィスの一室が空いてるからそこに住んでいいよ。”とオファーをしてくれた。

 

こんなことってあるのか?というレベルの話である。

ちょうどその頃ストリートバスケ3×3のチームでのトレーナーの話をもらっていたこともあり、
アメフト、バスケ、在宅訪問マッサージの掛け持ちになることも了承してくれて、特別契約という形でかなり自由度の高い働き方を提案してくれた。

 

期間限定で雇ってくれて、しっかりとした給料も出て、住むとこを提供してくれて、さらに自由度の高い働き方をさせてくれるというのである。こんな会社、他には絶対ないと言えるほどの条件である。人として尊敬出来る方で、実績も飛び抜けてる方で、僕は迷うことなく彼のお世話になることにした。

彼が救いの手を差し伸べていなかったら僕が豪華客船に乗る時期が少なくとも半年は遅くなっていただろう。そもそも豪華客船に乗ることにならなかったかもしれない。

感謝してもしきれないほどの恩義がある。

 

そんな彼のもとで働き始めたのが、梅雨が始まる前の6月のことだった。

 

 

順調に進む乗船準備、そして仕事の忙しさがピークに達する


母校の先輩の会社で働き始めた僕は、順調に仕事をこなして行った。

アメフトチームの方も大きな問題が起きることなく春シーズンを終え、夏シーズンへ突入する前のブレイクに入った。

そんな時期に僕はLAの師匠の紹介で、社会人ラグビーリーグ1部のリコーブラックラムズでインターンをする機会を頂いた。

在宅訪問マッサージ、アメフト、バスケ、ラグビーの掛け持ちが始まった。

 

平日は朝の7:30に家を出て、夕方4時過ぎまで在宅訪問の仕事をして、その後、バスケチームの練習かラグビーチームのインターンに行って夜0時過ぎに帰り、

土日は朝9時頃からアメフトのトレーナー活動に行き、練習場泊まり込みで働き日曜の夜22時頃に帰宅するという生活である。

 

アメフトの春シーズンと夏シーズンの間のオフの期間は、リコーのヘッドトレーナーの紹介で、社会人ハンドボールリーグで常にトップ争いをする最強のチームである大崎オーソルの全日本選手権のヘルプとしてトレーナー活動をさせて頂いた。

 

アメフト、ラグビー、ハンドボールという違ったスポーツのトップリーグのチームで活動するという経験を積むことが出来たのは大きな自信となった。
日本代表選手のプレーや生活を間近で見れたのもとても良い経験となった。

さらに8月は特別に在宅訪問の会社とアメフトチームから休みを頂いて、師匠がカリフォルニアで毎年行う解剖実習の手伝いをする為LAに飛び、1週間ほど留学中に過ごした叔母さんの家に滞在させてもらった。

 

この時期が仕事量がピークに達した時で、
移動時間を含めた仕事時間が週100時間を超えた。

この経験があったからこそ、船での仕事が楽だと感じているのだと思う。
(船は契約では週に52時間以上、僕の場合は58-65時間働いている)

 

 

新たな旅立ちが決まる


以前、書いた「僕が豪華客船に乗ると決めた理由」

僕が豪華客船に乗ると決めた理由

という記事で少し詳細を書いたが、
8月の終わりにあった1度目の面接に合格し、
9月にSkypeで鍼灸セクションのボスとの面接を行い、それにも無事に合格し、僕は豪華客船に鍼灸師として乗れることになった。

当時の僕は22歳で、おそらく鍼灸師としては最年少だったと思う。
僕が船に乗ったときから数年前までは25歳以上じゃないと鍼灸師として雇ってもらえないという制限があったそうだ。

合格が決まってからはビザの申請、メディカルテストを受けたり、英語の勉強、セミナーの準備など乗船の準備をしなくてはいけなかったのだが、
他の仕事もやっていた僕は最低限の準備(書類関係)しか出来なかった。

在宅訪問マッサージ会社の方は面接の合格が決まってすぐに社長に連絡を入れたこともあり、徐々に仕事を他のスタッフに振ってスムーズに患者さんの受け渡しをすることができた。

合格が決まった9月にちょうど母校の同級生が就職先を探していたこともあり、僕と入れ替わる形で入社することが決まり、何の問題もなく豪華客船の仕事に行くことが出来た。

すべてがパズルのピースのごとく収まるところに収まるようにして計画通り豪華客船への準備が進んでいった。

 

アメフトチームのヘッドトレーナーには5月に以前の会社を辞めた際に豪華客船を目指すことを話していたので、2013年シーズンでチームを離れることを伝えていた。

ビザとメディカルテストの予約が出来た時点でアメフトチームの監督とヘッドコーチを始め、チームの皆にシーズン最終戦限りでチームを離れることを伝えた。

すべてを了承してくれて、アシスタントヘッドトレーナーという立ち位置でありながら何度か練習に参加することが出来なかった僕に寛大な措置をしてくれたヘッドトレーナーには頭が上がらない。(彼は僕が自分よりすごいと尊敬する数少ない同い年の人物だ。)

 

10月に入り、ラグビーのインターンを終え、仕事の引き継ぎが順調に行って日本での生活の終わりが見えた頃、初めて両親に豪華客船で働くことを伝えた。

両親からしたら全くもって寝耳に水な話であっただろう。

初めて就職した会社を辞めたことは伝えてあったが、豪華客船のことは話してなかった。
(単純に忘れてただけ)

毎度お馴染みの事後報告である。
最初は驚いていたけど、すぐに自分の人生だから好きに生きなさい、頑張りなさいと言ってくれた僕の両親。相変わらず慣れた対応である。

今まで僕の選択に否定をしたことが一度も無い両親。海外に出て豪華客船で働くことへの反対ももちろん無かった。(あっても聞く耳は持たないが)

紅葉が始まりかけた10月の半ばのことだった。

 

 

そして、豪華客船へ


無事にアメフトシーズン最終戦まで仕事をやり抜き、

(練習最終日には行けなかった)
チームの選手やトレーナー、マネージャー陣に送別会を開いてもらい送り出してもらった。

在宅訪問マッサージの会社でも仕事最終日の朝にガス欠になり、坂道を汗だくでバイクを押しながら登るというアクシデントにあいながらも無事すべての仕事をやり抜き、送別会を開いてもらい送り出してもらった。

仕事の相棒、こいつを押して坂を登ったんだ↓

 

そして僕は、2013年11月20日に僕は豪華客船乗船前のトレーニングを受ける為、LAへと向かう飛行機に乗った。豪華客船で働くと決意してからちょうど半年が経ったころだった。

 

 

あとがき


ここまでが僕が豪華客船に乗るまでの話である。

全3回に渡って書いてきたが、当時を思い出してみると必要な時に必要な助け手を差し伸べてくれた人たちのおかげで、今、僕は豪華客船に乗っているのだと改めて感じる。

そんな僕だから、もし自分が助けになれるであろう、困ってる人が居たら自分がしてもらったように救いの手を差し伸べてあげたいと思っている。

豪華客船への道のりは決して簡単なものではなかったし、ポジティブな想いに満ちたものでもなかった。さまざまな挫折を味わって来たからこそ、僕は今、船上鍼灸師として働いている。
他の船上鍼灸師がどういう経緯で豪華客船に乗ったのかをよく知らないので比較は出来ないが、
僕のような経緯で豪華客船へとたどり着いた鍼灸師はほとんどいないのではないかと思う。

きっかけが何であれ、
豪華客船で働けたことはとても良い経験になっているし、この道を選んで良かったと思っている。

僕の物語はまだまだ続くが、
豪華客船という舞台の話はそろそろ終わりを迎えようとしている。

このブログを通してこれから僕がどんな道を歩むのかを楽しんでもらえたら嬉しい。
これからもブログ共々よろしくどうぞ!

MITS


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